vol.6 日本語業界は狭い!?

 みなさん、お元気ですか。

 コース長の中道です。

 ぶろぐの第6弾は、鈴木修子先生をご紹介いたします。

 今回はイラストで先生のイメージをご紹介します。

 中道:修子先生、今日はよろしくお願いいたします。

 修子:はい。よろしくお願いいたします。

 中道:日本語教育業界に入ったきっかけは何でしょうか。

 修子:語学教師になりたくて、大学に入り直しました。社会人入試制度もなかった頃だったので受験が大変だった

    記憶があります。

    日本語教師になりたい外国人の留学生がクラスメートに数名いて、刺激的な日々を過ごせました。

中道:一度社会に出てから大学に入り直すとは、よほど強い動機があったということですね。

    勉強している時に苦労したことは何ですか。

修子:残念ながら昔の大学の専門の勉強は難しくて、実際に役に立つのか疑問に思うことが多くずいぶん悩みました。

   しかし、当時のご高名な教授陣に言わせると、簡単に学生にわかるような授業は価値がないという、なんとも

   深いお考えだったようです。確かにそうかもしれませんが・・・。

   日本語教師をはじめてからも、当時は実践に役立つことなど簡単に教えてもらえるところもなく、研修なども

   高額で大変でしたね。「みんなの日本語」の教え方講座に数回かよったことがありましたが、確か一回1万円も

   したので一部しか参加できなかったことを覚えています。

   だからこそ養成講座の授業では、難しく見える講義の内容が、実際の現場とどうリンクするのか、できるだけ

   私なりにお伝えするようにしたいと余計にそう思ってしまいます。

中道:先輩の苦労があって、後進はさらに発展していけるということですね。

   実際に教えている中での思い出を教えてください。

修子:思い出はありすぎるので困ってしまいますが、短いものをひとつ。

  まだ教師を始めたばかりのころのことですが、インドの思い出を・・・

  私はインドに行ったことはないのですが、私の知人の娘さんが、たまたまインドに遊びに行き、そこで

  知り合ったインド人の宅にお邪魔したそうです。すると、なんと私の写真が壁に飾ってあったというのです。

  聞くと「これは私にとっての初めての日本語の先生の写真だ」ということだったそうです。

  それを聞いた私もこの偶然にびっくり。とても意外で、嬉しいやら恥ずかしいやらでした。

  ”It's a small world!” とはよく言ったものです。今思えば、それは単なる偶然ではなく、道を示してくれた

  出来事だったのかもしれません。

中道:印象深いエピソードですね。

   その学生にとって、先生が憧れの存在だったということですね。

   修子先生が、これからの日本語教育に期待することは何ですか。

修子:この早稲田文化館は一人一人を「人」として大切に考えてくださる学校であり、職場だと思いますが、

   世間にはもしかしたら、まだまだそうでないところがけっこうあるかもしれません。学習者も働く方々も、

   経営側も、ともにお互いを大切に考え、いかなる状況にあっても、素敵な未来が築けますように。

   そんな日本語教育であり、日本語教育の場であることを期待しています。

   それらは、このコロナ禍の中で、私がこの学校の皆さんから教わったことでもあります。

中道:たしかに、教育理念と経営とどちらも満足出来る学習場所が出来ると理想ですね。

   では最後に、これから日本語教育業界に一歩踏み出そうとしている方へメッセージをお願いいたします。

修子:日本語教師という仕事は、自分にいろいろな意味でプラスになる仕事だと思います。

   「これでいい」ということがなく、いつも何か新しいことを学んでいくことになりますし、

   常に新しい体験ができます。また、たとえささやかでも創意工夫を生かせる機会がたくさんあります。

   だからこそ続けていて飽きがこないのかもしれません。

中道:どんな仕事も自分の取り組み次第でプラスに出来ると思いますが、私も20年以上この業界にいますが、

   まだまだ勉強することが多いと思います。

   修子先生、どうもありがとうございました。

   第7弾をお楽しみに。